●2月下席
●3月上席
●3月中席
●3月下席
●4月上席

 ●落語芸術協会の5名5月に真打昇進
 当席、5月上席(かみせき・1日〜10日)、大型連休にかかる夜の部は、落語芸術協会(会長桂歌丸)5名の真打昇進披露が行われる。真打昇進とともに3名が改名する。新真打を紹介する。

昔昔亭健太郎改め
春風亭愛橋
柳太改め
春風亭柳城
昔昔亭笑海改め
柳亭芝楽
瀧川鯉橋
笑福亭里光
 98年(平成10年)2月に春風亭柳昇に入門し柳二郎、02年(平成14年)2月ニツ目。03年6月、師匠柳昇没後は昔昔亭桃太郎門下となり健太郎と改名。12年5月真打昇進とともに三代目愛橋を襲名。長野県は駒ケ根の生まれ。

 98年3月に柳昇に入門、02年3月二ツ目。03年6月、柳昇没後は春風亭柳好門下。前座、二ツ目と柳太で通したが、真打昇進で柳城と改める。埼玉県行田市出身。

 98年5月に柳昇に入門し昇七、02年6月二ツ目で笑橋。03年6月柳昇没後は桃太郎門下へ移り、05年に笑海と改める。真打昇進で、愛好家には懐かしい名跡の柳亭芝楽を襲名。芝楽は17年ぶりの復活。千葉県市原市出身。
 98年5月に瀧川鯉昇に入門し鯉奴、02年6月二ツ目で鯉橋。真打も鯉橋の名で通す。新潟県上越市出身。
 98年7月に上方落語で落語芸術協会にも所属の鶴光に入門し里光、02年7月二ツ目。上方落語協会は前座、二ツ目、真打の階級制度はない。従って里光は上方落語では昭和33年の桂小南以来の真打昇進。兵庫県西宮市出身。
- 出演者あれこれ-
 たい平と喬太郎はこのまえのタツ年に当る2000年(平成12年)に抜てきで真打に昇進した。たい平、喬太郎が当席の名物、二ツ目が共演の深夜土曜寄席に出ると長い行列ができたものである。
 今年、落語協会は春に一之輔、秋には朝太、菊六が抜てきで真打に昇進する。抜てきでは小朝の36名抜き(昭和55年)が有名だが、故志ん朝も28名抜てきで昇進(昭和28年)。この年、落語協会の噺家は60余名、真打は23名であった。
 曲独楽の紋之助の師匠である三増紋也は昨年86歳で亡くなった。紙切りの正楽は三代目。初代は昭和天皇の御前で紙切りを披露したという。
紋之助、正楽は落語協会だが紋也、初代正楽は落語芸術協会(当時は日本芸術協会)であったのも面白い現象。
上席中席下席
昼の部
柳亭小燕枝
夜の部
林家たい平
昼の部
三笑亭可楽
夜の部
三遊亭円輔
昼の部
川柳川柳
夜の部
柳家さん喬
りゅうていこえんしはやしやたいへいさんしょうていからくさんゆうていえんすけかわやなぎせんりゅうやなぎやさんきょう
平成の中入トーク
まやまけいすけ〔平〕「昨年11月21日に談志(家元)が亡くなった」
<成>「昭和58年に立川流を設けて寄席とは離れたね」
〔平〕「ところが平成になって当席の余一会に出演。12年ぶりとマスコミは騒いだよ」
<成>「時々、当席にもフラーっと寄ったりして」
〔平〕「末広亭と談志師匠とは大変関係がある、高校1年で中退した噺家志望の師匠の相談にのったのが、当時支配人の真山恵介氏だから」
<成>「真山恵介といえばベレー帽姿でテレビで解説した?」
〔平〕「そう、去年11月に当席の五代目席亭に就任した真山由光社長の父親に当る人。ところで、真山氏と十代談志少年との相談は、どこでしたと思う?」
<成>「近所の喫茶店?」
〔平〕「昭和二十六、七年頃はそんな気の利いた所はなかったのかな、今もある客席後方の喫煙室だよ」
<成>「すると、あの狭い喫煙室が落語家談志の誕生の地という事か、知らなかった」